家康が豊臣家を挑発する裏で恐るべき計画が発動していた!ふたり天下/北沢秋 著

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『哄う合戦屋(わらうかっせんや)』で、2009年10月にデビューした北沢秋の小説です。その後、『奔る合戦屋(はしるかっせんや)』(2011年)、『翔る合戦屋(かけるかっせんや)』の合戦屋シリーズが書かれています。

この物語は、越前宰相・結城秀康と、黒田長政、そして、この2人の主人公に立花宗茂を絡めた歴史ファンタジー(こんな歴史があったら)ですね。

「関ヶ原の合戦の後、大坂冬の陣、夏の陣に至る間に、このような策謀が人知れず行われていた」という切り口で語られています。

越前宰相・結城秀康は、徳川家康の次男に生まれたにもかかわらず、何故か家康に疎まれ、歴史の表舞台に出ることのなかった武将です。

しかし、この小説の中にも合った通り、本田作左衛門と悲劇の武将である徳川信康によって見出され、関ヶ原には参加しませんでしたが、上杉景勝を抑える役目を任され、越前75万石を擁した大大名になるわけです。

そして、豊臣秀吉との講和による人質として、豊臣秀吉の元に送られ、秀吉に子供が生まれたことで身の置き場がなくなり、結局、結城家に養子に出されるというツキのなさがあったように思います。

この小説の中にも出てきますが、その人となりは、豪放磊落で徳川二代秀忠よりも数段上の人物だったのではないでしょうか。

それらが、徳川家としては、いかんともし難い状況であり、人物を貶めるため、最後は梅毒で亡くなるように仕向けられたと考えても良いのではないでしょうか?

さらに、黒田長政は、関ヶ原で徳川家康を勝たせる要因を作った人物であります。福島正則を味方にするため、芝居を打ったという話は、この小説だけでなく、幾多の小説の中にも出てきますね。

実際、福島正則が味方したために、本来は西軍の将でもある多くの武将が東軍として関ヶ原に参加し、戦争に遅滞した秀忠率いる家康直轄群がいなくても、関ヶ原で勝利を挙げました。

家康が、黒田長政の手を取って感謝したという話は、これも、別の小説で読んだことがあります。合わせて、黒田長政の父である如水が、「なぜ、空いている右手で家康を刺さなかったもか」というくだりも、同じ小説で読んでいます。

このふたりが、大坂方に圧力を加え始めた家康に反発し、反徳川の包囲網を作るために策謀を開始します。そして、実行部隊を育成するのに、西の戦の申し子と呼ばれた立花立花宗茂が絡んで来ます。

人知れず、実行部隊を作り上げ、その持前の実行力で、素晴らしい部隊を作り上げます。その志は、半ばなるところまで行くのですが・・・。

ふたり天下

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そこに、落とし穴がありました。歴史は覆らなかったのです。黒田長政は、タヌキ親父と言われる家康に全てを見抜かれていたと悔いているのですが、・・・。

実態は思いもよらぬところにあったのです。その真実は、・・・。ぜひ、本書をご覧になってください。

面白い小説だと思います。最後には、長政も見誤った真実がありました。その内容は、皆さんの目で確かめてください。

是非、ご一読を。

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