明智光秀の前半生、ひととなりを解明する!明智光秀・秀満:ときハ今あめが下しる五月哉 小和田哲男

1.概要

本能寺の変、天下統一を目前とした織田信長が、側近中の側近だった明智光秀に討たれた大事件ですが、その理由が現在に至っても解明できない「日本史の謎」のうち、最右翼にあるといっていいと思います。

歴史とは勝者によって語られるもので、その意味で明智光秀は、主殺しをした悪逆非道な人物として後世に語り継がれました。

これは、自身が織田政権簒奪(さんだつ)をしているにもかかわらず、豊臣秀吉が自身のイメージを高めるため、必要以上に「主殺し」を強調した産物であると考えられます。

著者は、そんな明智光秀の生涯を再検証し、光秀と、彼を支えた娘婿の秀満の実像を明らかにするものです。

ですので、この書籍は、小説ではありません。

内容紹介です。

明智光秀(1528から1582年)・秀満(1536から1582年) 戦国武将。
織田家重臣として活躍しながらも、主君信長への謀反を起こした明智光秀とその女婿秀満。本書では、謎に包まれた二人の前半生、そして行動と人となり、さらには本能寺の変に至った動機と背景を解明する。

著者:小和田哲男=1944年生まれ。小和田 哲男は、日本の歴史学者、文学博士。静岡大学名誉教授。日本の戦国時代に関する研究で知られる。

2.内容ちょっぴり

著者は現在に残されている資料から、明智光秀及び秀満の出生と若かりし時代を明らかにしようと奮闘しています。

しかし、明智光秀の若年を調べていくと、その生年や出身からして謎が多いことがわかりるのです。著者は通説とされるものの根拠を探っていきます。

これを見ていくと、明智光秀関係史料・研究史からは、若年のことに関しては、詳細がわからないという結論にならざるを得ないところに落ち着くようです。生まれ年は子年であるということぐらいで、大体、この年なんだろうというところまでしか明らかにできません。

明智城の跡取りという話についても、資料からは明確なことはわからないというのが結論のようです。

そこからわかってきたのは、信長の正室となった斎藤道三の娘との関係、越前朝倉氏への仕官、その地へ逃れてきた足利義昭と側近である細川藤孝との出会いです。

明智光秀・秀満:ときハ今あめが下しる五月哉 (ミネルヴァ日本評伝選 196)

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どうやら、若いころに、光秀は細川藤孝の被官であったようで、朝倉氏の許で再開し、動き出さない朝倉氏に見切りをつけた足利義昭と織田信長をつなぐ役目を帯びたところで、歴史の表舞台に登場します。

そして、信長の許で働きだすことで、その有能さを認められ、信長と義昭の共通の家来だった時代を経て、信長の許で大出世を果たしていきます。

織田信長が戦国乱世を平らげ、天下統一の道をひた駆けるとき、光秀は多様な勢力の間を、信長のために奔走しました。

著者は、怨恨、野望、抑鬱、陰謀及び黒幕など、本能寺の変をめぐる諸説を検証したうえで、どのような結論に至ったかは、是非、皆さんが本書を手にとって確認してください。

著者は最後に光秀の人柄に言及し、温和で情に厚い人物であったと説いています。これは、悪人の対極となるものですが、人間は良いことをしながら悪いことをする生き物ですので、矛盾があって当然だと60爺は考えます。

是非、ご一読を。